MANUFACTURER : NISSAN MOTOR CO.,LTD

1936 DATSUN RACER

THIS RACER HAD SHOWN IS SPLENDED PERFORMANCE AT THE JAPAN RACING CAR CHAMPIONSHIP HELD AT TAMAGAWA SPEEDWAY, OCTOBER 25, 1936
THE RACER, NUMBER 18, HAD BEATEN ALL OTHER ENTRANTS INCLUDING FOREIGN CARS WITH ITS HIGH POWERED, SUPER CHARGED 747 CC ENGINE PRODUCING 49.8 HP AND HAD WON THE TRORHY OF MINISTER OF COMMERCE AND INDUSTRY.

1933年式 ダットサン12型フェートン

1933 DATSUN Type12 Phaeton

ダットサンの名前は、1914(大正3)年に快進社が「ダット1 号車」を製造したことに由来します。DAT(ダット)は 快進社への出資者3 人(田健治郎、青山禄郎、竹内明太郎)のイニシャルから取られ、また「脱兎のごとく」にかけた命名でした。その後快進社は1926(大正15)年に実用自動車製造と合併し、社名はダット自動車製造となり軍用車などを作っていましたが、快進社創業者の橋本増次郎の精神を継いだ新たな小型車を作る構想が進み、1930(昭和5)年に試作車が完成、翌年発売。DATの「息子」を意味する「DATSON」が生まれました。 しかし、「SON」は「損」を連想させるため、発音が同じで太陽を意味する「SUN」に替えた「DATSUN(ダットサン)」に改められ、昭和7(1932)年の10 型から採用されました。ダットサンは、主に日産自動車の小型車に使われ、 日本のみならず、海外でも親しまれるブランド名になりました。この12 型は、日産自動車が創業した1933 (昭和8)年12 月当時に製造されていた日産最古のモデルで、ヘリテージコレクションの中でも最古のクルマです。 「フェートン」とは、折りたたみ式の幌を持つ4 人乗りのオープンカーの呼び名です。また、バスタブのような 形状のボディも特徴です。

1935年式 ダットサン14型ロードスター

1935 DATSUN Type14 Roadster

日産自動車は、1933年(昭和8年)12月の「自動車製造株式会社」設立時点でスタートしました。翌1934年(昭和9年)には現在の日産自動車株式会社へ改称します。さらに、当時の日本では未曽有となる年産1万台規模の本格的な量産に取り組み、翌1935年(昭和10年)に横浜市の新工場で最初に生産されたのがダットサン14型です。722cc・15馬力の新エンジンが搭載されていました。 スタイリングを手がけたのは、工業デザイナー/エンジニアとして著名な富谷龍一氏です。グリルの上に置かれた美しい兎のマスコット(ダット:脱兎:兎が走るイメージ)が目を惹きますが、このマスコットも富谷氏が手掛けたものです。この1935年は、ドイツで初のアウトバーン(高速道路)ができ、ヨーロッパでは高速移動の第一歩が、日本では自動車の大量生産が緒についた年といえるでしょう。

DATSUN HISTORY

車名のいわれ「DATSUN」

ダットサンという車名のいわれ程、説明に時間のかかる車名は古今東西を通じてない。日本最初の自動車メーカー、快進社を設立した橋本増次郎という人が、造った車の名に自分の名をつけず(欧米の車名では創始者の名前をとったものが圧倒的に多い)資金を協力してくれた三人の恩人の頭文字をとってDAT(ダット)とした。即ち田健次郎(当時九州炭砿汽船社長、男爵、後の台湾総督、枢密顧問官、現在の社民連の田英夫参議院議員【当時】の祖父)、青山禄郎(橋本氏の友人)、竹内明太郎(九州炭砿汽船技術顧問、吉田茂元首相の実兄)の三氏である。これをDはDurable(頑丈な)、AはAttractive(魅力的な)、TはTrustworthy(信頼性のある)と言い換えてDATのマークの上につけたといわれる。この会社は快進社からダット自動車製造に社名を変えてから小型乗用車の試作を完成(昭和5年・1930年)し、翌年DATの息子DATSONと命名した。ところがこの販売を引き受けた人からダットソンと読まれ、損に通じるので太陽のSUNにしてほしい、との申し入れがあり、翌昭和7年(1932年)からDATSUN(ダットサン)になった。戦前のダットサンは国産小型車の代表として一般にも親しまれた。某有名出版社の「日本語になった外国語」の中に「ダットサン」が並べられ、日本語訳が「小型自動車」になっていた程である。